古地図で散策 大洲ご城下 (大洲市・肱南地区)
寛政11年(1799年)の古地図と現在の大洲城下地図
市街を散策しながら、200年前の町並みを思い描き、当時の人々の生活を垣間見る。
そんな町歩きの手助けになればと願ってこの案内図を作りました。
古地図は、寛政11年(1799)作成、第11代将軍徳川家斉の時代のものです。(大洲は第10代藩主 加藤 泰済)
お城を中心とした当時の町割や道筋がほぼ残っており、所によっては内堀、外堀の跡も明確に残っています。櫓や石垣、案内表示等を手がかりに江戸時代の町を想像の中で再現する、という方法もこの地図の楽しみ方と考えます。古地図と現代図を見比べながらご利用ください。
寛政11年(1799年)の大洲城下地図
1 武家屋敷は氏名を表記し、その向きは玄関の位置を示す。
2 東側の紫地は、町人町を示す。
現在の大洲城下地図
(★)印は、史跡の表示または説明板の位置を示す。
(⃝数字で表示した史跡を除く)
見どころ案内
内堀を見つける手がかり
① 二の丸大手門跡 〈弐ーロ〉
② 二の丸搦手門跡(北の菱門) 〈壱ーロ〉
③ 内堀菖蒲園 〈壱ーロ〉
④ 内堀跡 標柱 〈弐ーロ〉
外堀を見つける手がかり
⑤ 三の丸北西隅櫓跡 〈壱ーイ〉
⑥ 南隅櫓 〈弐ーロ〉
⑦ 大洲高等学校第2運動場 〈参ーロ〉
⑧ 苧綿櫓 〈弐ーハ〉
家老屋敷の広さを実感しよう
⑨ (大手門)東門の護り 〈弐ーハ〉
家老「大橋兵部」邸跡1,745坪余(ショッパーズ〔旧Aコープ〕大洲三の丸店を含む1角)
⑩ 西の門の護り 〈参ーロ〉
家老「加藤伊織」邸跡1,976坪(大洲高等学校から簡易裁判所一帯)
武家屋敷を探訪しよう
⑪ 「中江藤樹(1608~1648)」屋敷跡 〈参ーイ〉
(至徳堂:昭和14年(1939)に百石取りの武士の屋敷を模して造られた。)
(内村鑑三の「代表的日本人」で紹介された。近江聖人。藤樹心学の創設)
⑫ 藩校「止善書院明倫堂」跡 〈弐ーハ〉
(孔子の木像と並んで中江藤樹画像と王陽明画像が掲げられていた。)
町人町を探訪しよう
⑬ 三瀬諸淵(1840~1877)生家跡 〈弐ーハ〉
安政5年(1858)日本初の電信機の実験に成功した。大阪病院一等医。
妻は高子(シーボルトの孫・イネの娘)。
⑭ 豪商 対馬屋 跡地 〈弐ーニ〉
いろは丸(海援隊が使用)購入に多額の出費をしたと伝わる。
⑮ 政尾藤吉(1870〜1921)生家跡 〈弐ーニ〉
米国連邦政府弁護士免許獲得、外交官としてシャム(タイ)の法典編さん顧問を務める、功によりシャム王国の皇族待遇を受けた。
時代をつなぐ寺社を訪ねよう 1
⑯ 龍護山曹渓院(臨済宗) 〈参ーハ〉
(藩主 加藤家菩提寺 歴代藩主の画像を所有)
(文禄3年(1594)大洲初代藩主貞泰公(1580~1623)が現在の岐阜市に開基したものを移転した。)
⑰ 槃陀山法華寺(曹洞宗) 〈参ーニ〉
(臨済宗中興の祖 白隠の「布袋吹於福図」所有博物館保管)
(元徳2年(1330)宇都宮豊房の守護着任に伴って下野国から移転した。)
時代をつなぐ寺社を訪ねよう 2
⑱ 大洲神社 〈参ーホ〉
大正3年(1914)この地に合祀された。
(寛政11年は、A徳正寺とB西方寺があった。) 〈四ーイ〉
時代をつなぐ寺社を訪ねよう 3 (※本地図から少し離れています。)
⑲ 冨士山如法寺(臨済宗) 〈参ーヘ〉
(2代藩主泰興公が1669年盤珪を開山として開基 仏殿は国の重要文化財)